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「赤ん坊が人々の絆を育てる」

 生まれて3ヶ月が過ぎたころ、赤ん坊はニッと笑います。はじめての笑顔です。意味や理由はないはずなのに、ニコッと少し笑うのです。それを見た人間たちは自分がいい人間だということに気づきます。発見します。そして、嬉しくなるのです。自分の本性を思い出す。もう一度その笑顔をもらおうと努力します。自分を発見するための日々が始まります。
 その笑顔を数人の大人たちが一緒に眺めていれば、その人たちの心が一つになるのです。意図せずに笑ったように思える赤ん坊の笑顔に、人間たちをいい人間にし、人間たちの心を一つにする力がある。
 人間のはじめての笑顔にこれだけ意味や理由があることを、思い出さなければいけない時代が来ています。

 中学校で、家庭科の時間を使って赤ちゃんと触れあう体験を生徒にさせている学校があります。最近は、妊婦さんや乳児の定期検診サービスを保健所などでやっています。ボランティアを募って中学校に行ってもらいます。杉並区の場合、ボランティアにちょっとしたお礼が出ます。二千円くらいだったと思います。私が見学したのは母校の富士見ヶ丘中学校でした。妊婦さんが一人と、乳児を連れたお母さんが10人くらい。教室の前の方に並びます。赤ちゃんたちはあっちを見たり、お母さんを見たり、眠っている子もいます。一人ひとり、赤ちゃんを膝に置いてお産の時の体験談を語ります。大変だったけど感動しました。そう語るお母さんの顔には真実があります。未熟児で本当に心配したんです、危なかったんです。そう話すお母さんの真剣な顔に、母の強さと優しさを感じます。人間の弱ささえ感じます。それを中学生が見ています。
 5人ずつグループになっている中学生の机のところに赤ん坊がやってきます。お母さんが「抱いてみて」と言います。一人の中学生が、恐る恐る、でも嬉しそうに赤ん坊を抱きます。その光景に私が嬉しくなります。お母さんは中学生を信頼して大事な大事な赤ちゃんを、そっと手渡したのです。直感的に、自然に、次世代を信じているのです。信じてもらえた中学生が、誇らしげにクラスの友だちを見ます。いつか自分も次世代を信じる時が来るのです。
 赤ん坊を抱くのが上手な男の子がいました。シャツがだらしなくズボンのそとへはみ出して、ちょっと不良っぽく見せています。その子には小さな妹がいて、いつも抱いていたのです。みんなが驚いて感心します。知らなかったことがわかったのです。彼は、家ではいいお兄ちゃんだったのです。昔の村だったらとっくに知っていたことなのに、いまの社会では、家庭科の授業がなければ知ることのできない、友だちの姿です。
 僕も昔はこうだったんだな、と誰かが思います。お母さんたちも、中学生を見て、私も昔中学生だった、と思います。この時、魂の交流が時空を越えるのです。
 人が別々に歩いてきた道が、乳児によって結ばれる。生後3ヶ月の赤ん坊が存在する限り、人の心が一つになる次元が存在しているのです。

「高校生の保育士体験」

 高校生、中学生、小学生に夏休みを利用して三日間の保育士体験をさせている園長先生が島根県におられます。もう十五年も前からやっています。保育園は夏休みもやっていますし、0歳児からいるからいいのです。
 ふだんはコンビニの前でしゃがんでタバコを吸っている茶髪の高校生が、園に来ると園児に人気が出る、というのです。不良高校生が保育園に来ると生き返るというのです。もともと、心が園児と近いのかもしれません。だからこそ一人でしゃがんでいたのかもしれません。
 園児は駆け引きをしません。駆け引きをしない人たちに人気が出るということは、本物の人気です。高校生も本能的にそれを知っています。自分が宇宙から認められたような気がします。そんなとき、不良高校生の人生が、三日間の保育士体験で変わります。自分が自分であるだけでいい、という実感が「生きる力」になるのです。それまでは、それでは駄目だ、もっと勉強しなさい、こんな人生を目指しなさい、信じることの出来ない相手から色々と言われてきて、反発していたのに、そのままでいいよ、と一番信じられそうな人たちに言われ、自分に対する見方が変わります。命に対する見方が変わるのです。そして、自分もこうだったんだ。人間は、生まれながらにすでに自由だということに遺伝子のレベルで気づくのだと思います。幼児を世話し、遊んでやって、遊んでもらって、弱いものを守る幸せが、とても新鮮な真実に思えるのでしょう。
 駆け引きのない人間関係の楽しさ嬉しさに感動するのです。
 どんなにひねくれた高校生でも、どんなに苦しそうで危機に陥っている大人でも、1歳児に微笑みかけられると嬉しくなる。まわりに見ている人がいなければ、必ず微笑み返します。幼児とのやりとりは、人間たちに、自分は本質的に善である、ということを憶い出させてくれるのです。
 駆け引きをしない幼児たちを見ていると、人間は、生きるためと思って不完全を目指してきた自分に気づき、可笑しくなり、自分の本来の姿に嬉しくなるのです。

(「なぜわたしたちは0歳児を授かるか」松居和著ー国書刊行会より)

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