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一日保育士体験

 一昨年の夏、埼玉県の保育園の園長先生と保育士二〇名くらいで「親心を育む会」という勉強会を始めました。月に一度、園の子育て支援センターに集まって、現場の問題やこれからの園の役割などについて話しあうのです。お漬物や、持ち寄ったお茶菓子を食べながらざっくばらんに、しかし真剣に話しあうのです。こんなテーマで一時間激論を交わしたことがありました。

 「保育が終わって母親に渡した一歳児が園の敷地内でうんこをした。オムツは保育士が換えるべきか、親が換えるべきか」

 討論の中に、人間社会における福祉の問題点が現れたように思います。
 ある園長先生は、「私だったら、『あんたの子でしょ』ですませるね」と貫禄で言い切ります。若手の園長先生は、「それは先生だから言えること。私たちには無理です」。なぜ無理なのでしょう。福祉という仕組みが、「立場」や「権利」を子育てに持ち込んだからです。園内では布オムツ、と決めているところは最初と最後に親がオムツを替える儀式があるので問題は起こりません。親がオムツを替える部屋が用意されていて、それとなく「あちらへどうぞ」でうまくやっています。仕事をさぼっているように見られるのが嫌なので、さっさと保育士に換えさせてしまう園もありました。対応は様ざまです。

 私が最後に言ったのは、「いまここでした議論が親の前で堂々とされるようになる、それが実は解決策でしょうか。共に子どもを育てている者同士、なんでも言える信頼関係が必要ですね」
 親心を育む、これを子どもが幼児のうちに保育園でやらなければ学校も社会も保てない。合い言葉は「一網打尽」。それが「親心を育む会」の第一回目で話しあわれたことでした。すべての親に参加させる、すべての園で実行できる。私たちの目指す「一網打尽」の志は高いものでした。志を高く持たないと、いまの保育界を囲む現状は正せない。「保育園が親を育てよ!」とはっきり書いてある新しい保育指針は、そういう意味で歓迎です。
 まず、親が感謝の気持ちを園に抱くこと。次に、行政や政治家が保育園の役割の大切さを認識すること。最後に、幼児期の原体験が安心に満ちたものであるために、親と保育士の心が一つになること。それができたときに、先進国社会に共通の家庭崩壊、モラル・秩序の崩壊は止められるかもしれない。そんな思いがありました。
 そして生まれたのが、親たちの「一日保育士体験」の構想です。年に一日八時間、会社を休んで親が一人ずつ保育園で園児に囲まれて過ごす。これが骨格です。すでに以前からやっている園を私はいくつか知っています。園で親が時間を過ごせば過ごすほど、親の「幸せのものさし」が人間本来のものに還ってゆくことを、園長たちから教えられていました。幼稚園で、「一日副担任」という名で同様の親育てをしている園で講演をしました。そういう園の親は、講演をしていても感触が違います。細胞が生きている、遺伝子がオンになっている、生き生きして感度が違うのです。
 「親心を育む会」の強みは、園を使って実験ができること。まず三つの園でやってみました。その結果は、会のメンバーを少なからず驚かせました。親が全員参加したのです。そして文句がほとんど出なかった。感想文に、判で押したように、保育園への感謝の気持ちが書かれていました。日本の親は大丈夫、幸せの探し方を知っている。私は感動していました。宇宙の法則はまだ生きている。最後のチャンスかもしれない。

 先生たちに「一日保育士体験」のマニュアルをすぐに作ってください、とお願いし、私は埼玉県知事の上田さんに面会予約をとりました。埼玉県主催の私の講演会を五年前に聞いて私を教育委員に任命した知事は、理解してくれている人でした。先生たちが急いで作り上げた十四ページのマニュアルを持って私は知事に会いました。そして二カ月後、当時厚生労働副大臣の西川さんにも会いました。「このたった十四ページのマニュアルが日本を救います」と、私は言いました。
 親の目が保育園に入るのを嫌がる保育士がすでにいるのです。しかし、それではいけない。保育の質を親の信頼に応えて維持するのが、幼児に対する大人の責任です。
 私たちの話しあいを発表するため、「親心を育む会」のホームページができました。そこで「一日保育士体験」のマニュアルをだれでもダウンロードできるようにしました。保育士の真心が動き始めました。


☆保護者アンケ ートより抜粋
・紙芝居を子どもに家で読んであげるのと、たくさんの子どもの前で読むのとでは、今日のほうが緊張しました。一日保育参加にきてとてもよかった。

・子どもの一日の様子を見ることができて、とてもよかったです。集団行動を小さいなりにやっている、それなりに皆にあわせて一日過ごしているのが見られてほっとしました。

・本人に生活習慣を学ばせるのは、すごく難しくて、保育士の先生の手法がとても勉強になりました。お洋服のお着替えも、あのくらいできるんだと感動しました。それにしても先生はすごい! と、息子のときもそうでしたが、改めて感じ、感謝いたしました。

・とにかくエネルギーにあふれていて、パワーに圧倒されてしまいました。先生は本当に大変ですね。すごい_ と改めて感謝しました。保育参加できてとてもよかったです。読み聞かせは、もっと子どもたちの表情を見ながらやればよかったです。

・たくさんの子がいて、個性も様ざまで、保育するのはとても大変ですね。先生方の姿を見て、これからわが子とのかかわり方もこうしたらいいかな、とかいろいろ考えさせていただきました。

・保育士の先生方の日々のご苦労を実感しました。わが子のしつけだけでも毎日疲労してしまうのに、多くの子どもに囲まれつつも、教育と安全と、調和を考慮しながらの保育の姿に頭が下がる思いと、紙芝居を読むことが、会社で上司や同僚の前で行うプレゼンより緊張するのだなと驚きました。

・最初は皆と仲良くできるか不安でしたが、子どもが好きなので皆に『○○くんのママ〜』って逆にかまってもらって嬉しかったです。

・平日は朝早くから夕方遅くまでお願いしており、忙しくしているので先生方の顔すらよく分からなかったのですが、今回の一日体験で園の中の様子や先生方もよく知ることができました。とてもよかったと思います。

・保育園での生活リズム・お友だちの顔・お散歩コース等々、いままで知らなかったことをたくさん知れて、いい勉強になりました。保育体験をするまでは不安でいっぱいでしたが、子どもたちが楽しく接してくれ、楽しい一日を過ごせました。でもやっぱり先生方の仕事は大変だなぁと改めて思いました。感謝、感謝です……。参加してよかったです。ありがとうございました。

・今後もぜひ親に保育園へくる機会を与えてください。日頃の先生方のケアが大変なことを親は知るべきであり、お互い歩み寄って協力できたらとてもいいと思います。

・保育参観だけでは見られないことや、運動会の準備にも参加でき、いい体験をさせていただきました。年に一度このような経験をするのは子どもにとっても親にとっても子育ての上でプラスになると思います。子どもも喜んでくれました。

・考えていたよりもずっと保育の内容が盛りだくさんで、楽しませていただきました。お手洗いがとてもきれいで子ども向けなところがいいと思います。なによりも保育士の方々の日々の大変さがとてもよく分かりました。ぜひまた来年も計画していただきたい行事です。


 私は、「一日保育士体験」によって、親たちに感謝の気持ちが育ったとき、保育の質が本当の意味で整うのだと思っています。「一日保育士体験」は、保育士にとっても高いハードルです。いつ親に見てもらってもかまいません、という意思表示です。残念ながら、これを恐れる保育園があって、日本の保育を囲む仕組みがこのまま進んだら、そんな園が増えてきそうです。だからこそ、私は、心ある園長先生たちにこれを作っていただいたのです。

 子どもが嫌い、という親が一日で変わったりします。子どもは子ども同士でいるとき、よりいっそう子どもらしくなって、集団で遊ぶ子どもたちは何倍もの力で親を親らしくします。人間を人間らしくします。幸せのものさしを伝える力が強くなるのです。経済競争から離れた幸福の風景を見て、父親の幼児虐待や女性虐待が止まります。親を園に迎えた子どもたちの喜びが、親の生きる力になります。八時間を共に過ごした親の素直な感謝の気持ちが、保育士の責任感と優しさを育て、保育が仕事という枠を越えて、生き甲斐になります。子育てを包みこむ大人たちの絆が、たった八時間の保育士体験で育ってゆくのです。

 保育士にとっても嫌な親はいます。保育士も人間ですから。でも、「一日保育士体験」をやると、あのお母さん、そんなに嫌な人じゃなかった、ということになったりします。幼児に囲まれると、人間それぞれのいいところが引き出され、見えてきますから、日常の朝と夕の五分くらいの接触では見えない別の面が見えてきます。
 埼玉県では、公立学校の生徒の一〇%が軽度の発達障害児といわれています。本来、人間はみな軽度の発達障害者で、それを個性というのでしょう。昔だったら個性ですまされたことが、生きる環境に安心感や安定感がなくなってくると、個性が個性ですまされなくなる状況が起こってきます。個性は常に環境に反応するからです。そして、不安は連鎖します。一人の子どもの個性がまわりの子どもたちの個性を誘発し、教師の精神的健康が限界に近づいています。
 現実問題として、親の中にも軽度の発達障害を持っておられる方がいます。その人を園側が理解することはとても大切なのです。適切な助言をするためにも、「一日保育士体験」で知りあうことがいいのです。

 改訂された新しい保育所保育指針に、保育所は「子どもの保護者に対する保育に関する指導を行うものである」とあります。いままで子どもの幸せを真剣に考える園長先生や保育士が親に注意すると、役所に文句がいき、役所から、文句が出ないようにしてください、と言われることが多かったのです。福祉はサービス、親のニーズに応えるもの、という厚労省からのお達しが役所にゆきわたっていたのです。役所の補助で成り立っている保育園は、現場を知ることがほとんどない役場の保育課長の言いなりにならざるをえなかった。ですから、この改訂は朗報でした。指針には、「保護者とともに、子どもの成長の喜びを共有すること」とあり、「子どもと保護者の安定した関係に配慮して保護者の養育力の向上に資するよう、適切に支援すること」とあります。

 もちろん、こんな大切で難しいことを時給九〇〇円で保育士にお願いするのは無茶な話です。でも、それをいま保育士が子どもの幸せを願ってやらないと、将来、そのつけは様ざまな分野でこの国に返ってくるのです。すでに、学級崩壊、治安の悪化、老人介護のゆきづまりなどに兆候は出ています。だからこそ、やっと保育指針や幼稚園の教育要領がここまで変化したのです。二〇年前にこの指針があったら、とつくづく思います。保育士や保育所に対する補助や待遇の悪さについて書き始めると一冊の本になってしまいますからここではあまり述べませんが、経済界や政界が保育の役割を財政的に軽視している状態では、「一日保育士体験」で、親の保育士に対する「感謝」という面から、待遇改善を呼びかけるしかありません。でも、この一歩は大切な一歩です。人間的な一歩です。

 「一日保育士体験」が日本の常識になったとき、本当の意味での改革が始まります。

(「なぜわたしたちは0歳児を授かるのか」松居和著 国書刊行会より)

 

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