1。幸せのものさし
子育てをしながら幸せになりたい、と思ったら、簡単にできることがいくつかあります。これは幸せな人生を送るための鍵でもあります。
まず第一にすべきことは、砂場で遊ぶ自分の子どもを眺めながら、「自分も三歳だったことがある」と思い出すことです。
口に出して唱えるといいのです。遊んでいる子どもを見つめながら、「私も三歳だった」と自分に言うのです。
買い物に行って、くたびれてしまった子どもに、「だっこして」と言われたら、そっと自分にささやくのです。「私も同じことを言っていたことがある」と。
「おんぶして、だっこして」と一度も言わずに命を終える人はいません。
一度もだっこしてもらわないで育った人間もいないはずです。
旦那さんも、奥さんも、政治家も、学者も、どんなに偉そうにしている人たちも、みんな一度は「おんぶして、だっこして」と言っていたのです。一人では生きられなかったのです。こういう大切な事を忘れていると一人前の人間にはなれません。子どもを生むということは、こういう大切なことを思い出すチャンスなのです。
人は、支えあって生きます。たよりあって幸せになります。最近はやりの「自立心」「独立心」「自己実現」なんて変な言葉は忘れて下さい。孤独になるばかりです。
心底たより、たよられることに幸せを感じるのが人間本来の姿です。美しい生き方です。それを、私たちに全幅の信頼を寄せて教えてくれるのが幼児たちです。親になって数年間、子どもが5歳くらいになるまでに、人間は、自立なんてできっこない幼児たちから少しずつ「幸せになる方法」を教わるのです。それが太古から行われてきた「幸福の伝承」だったのです。
産まれたばかりの赤ちゃんに初めて見つめられた時。自分の子どもが初めて笑った時、歩けるようになった時。初めて幼稚園から帰ってきた時。たったそれだけのことで、あなたは幸せになるはずです。その瞬間を心に刻み込むのです。
幸せになるということは、何かを成し遂げることでも、ビジネスに成功することでも、能力を発揮することでも、他人に勝つことでもありません。幸せを感じながら、幸せを計るものさしをできるだけ多く身につける、ということです。幸せな体験が多い人ほどものさしが広がって、より簡単に幸せになれます。
「幸せのものさし」を身につけようと思ったら、幼稚園に行って遊んでいる幼児たちを眺めることです。
「私もここで遊んでいたことがある」と心の中で唱えて下さい。三日も眺めていればたぶん一生大丈夫なくらいのものさしが手に入ります。なぜなら幼稚園で遊んでいる幼児たちほど幸せそうな人たちはいないからです。学者や政治家やお金持ちや偉そうな人たちよりも幼稚園児の方がよほど幸せそうなのです。それを自分の目で確認するのです。すると、幸せとは何かが見えてきます。
「園長先生はたいてい幸せそうなのに、なんで校長先生は半分くらい不幸そうな顔をしているんだろう」。そんなことを考えてみるといいのです。
私たちは幼児から幸せの本質を教わるのです。幸せの「手に入れやすさ」を教わるのです。そして、あなたも昔、それを大人たちに教えていたのです。
新たな生命を宇宙に生み出した時、自分も生み出された、自分も小さかった、ということを思い出すことは、あなたと地球の大切な約束事です。
2。幼稚園におとうさんが来た
簡単なことです。子どもの幸せは自分の幸せ、と思えるようになればいいわけです。夫婦揃って、そう思えるようになれば、だいたい一生幸せに暮らせます。人間はそんな具合に作られています。そうでなければ人類は滅んでいます。
父親、男というのはたいてい女性より攻撃的で競争が好きです。しかも母親のように、妊娠・出産・授乳を体験していませんから、「祈りの灯」が心の中にともっていない場合が多い。「子どもの幸せは自分の幸せ」と考える点ではすっかり出おくれています。このまま放っておくと競争や名誉欲に目を奪われて、ちゃんと幸せになれない可能性があります。
園長先生にお願いして、父親が参加する行事をなるべくたくさん作ってもらって下さい。
そして、子どもが「おとうさん、きてね」と言えるチャンスを作ります。
子どもは、父親が幼稚園に来るとそれだけで喜びます。こんなに単純に、無条件に、心から喜んでもらえる体験を、他にできる機会があるでしょうか。何年ぶりの再会ではないのです。今朝いっしょにご飯を食べていたのです。それなのに、「おとうさんが幼稚園に来た」というだけで子どもは、あんなに喜ぶのです。
子どもたちの理屈抜きの純粋な喜びは、父親たちの理屈抜きの純粋な幸せにつながります。
これは意外と見過ごされていることなのですが、人間は、幸せを感じないと「幸せのものさし」が身につかないのです。頭で考えた「幸せのものさし」は、たいてい他人との比較、競争に勝つことを基準にしている場合が多いのですが、もっと単純な理屈抜きの本能的なものさしは、人間関係の質からくるもので、これはやはり体験しないとわからないわけです。
私利私欲、計算、うらおもて、かけひき、こういうものがない、理屈抜きの純粋な人間関係に人間は憧れ、それを探し、そういう人間関係を体験した時、幸せを感じます。これは、大人どうしではなかなか味わえない体験です。経済競争の中に身を置いている父親たちは、特に欲やかけひきに満ちた生活を強いられている場合が多いですから、理屈抜きの、純粋な関係に幸せを感じるとよけいに感動するのです。
幼稚園の遠足は父親同伴、と決めている園長先生がいます。たった一日の幼児たちとの体験で、毎年、何十人の父親たちの「生きるものさし」が変わります。人生観が変わります。いるだけで喜ばれる、無条件に頼られることに父親が幸せのものさしを見つけると、母親の人生が楽になります。
もう一度言います。「幼児たち」が鍵です。「幼児たち」に接することで人間は人間らしくなるのです。父親が父親らしくなるのです。今、この時期を絶対に逃さないで下さい。親が親らしいこと、これがいま地球に一番大切な環境問題なのです。
3。親身
親身になってくれる友だちを探しましょう。
親身になってくれるひとが数人まわりにいる。それが親にとっても子どもにとっても一生の財産になります。金持ちでも、社会的地位が高い人でも、本当の友だちがいない人は不幸です。貧乏でも親身な人間関係を持っている人は幸せそうです。
その子の小さい頃を知っていると人間は親身になれます。「親身」とは「親の身」と書くのです。
ですから、幼稚園で親同士が友だちを作ることはとても大切です。お互いの子どもの小さいころを知っているから先々親身になれます。
子育てに大切なのは、母親のまわりに相談相手がいるか、いないか、です。相談相手から良い答が返ってくるかどうかはたいして重要ではありません。子育てに正解などないからです。もちろん、その相談相手の第一番は夫であってほしい。(夫の場合は妻であってほしい。)そして、おばあちゃん、おじいちゃんであってほしい。でも、2、3人でいいから、子どもが幼稚園に行っている間にいい友だちを作って下さい。
親身になってくれる友だちは、心から心配してくれる人、祈ってくれる人です。この人たちの存在が親の人生に安心をもたらします。親の安心が子どもに良いのです。
(最近、17歳の殺人事件などがあると、必ずといっていいほど心理学者、精神科医、カウンセラーなどという学問をもとにした「専門科」と呼ばれる人たちが、その少年がどういう風に育てられたか、育つ過程で何か問題があったのではないかと週刊誌や新聞紙上で分析します。ああいう「専門科」たちにこういう事件が分析出来るのなら、未来の犯罪は防ぐことが出来ます。実はこうした「専門科」が増えれば増えるほど、犯罪は増えるのです。なぜなら、ああいう人たちが商売上「人間の心のこと」がわかる振りをすればするほど、身近で、親身な人間関係が希薄になっていくからです。17歳になって少年が罪を犯した時、いちばん大切なのは、その親が親としてどう育っているか、夫婦関係がどう育っているか、その一家が、身近に、親身な人間関係の絆をどれだけ育てているかなのです。)
4。祈りを形にする
ある女性週刊誌に、「おかあさんの心がこもったお弁当」という見出しがありました。心がこもっていればカロリーや栄養のバランスなどは二の次、三の次でいい。これが日本の伝統、個性です。利休の茶の湯あたりから、こうしたとても個性的な、そして非論理的で非合理的な「祈りの文化」が強くこの国で育ちはじめたのです。
心をお弁当にこめる、いったいどうやるのでしょう。
祈りを形にする。この不思議な行動をなんとなくみんなで理解している。(だから「千と千尋の神隠し」なんて不思議な映画が作られ大ヒットするのです。)
これは、子育てにつながる心です。見えないところで心をこめる、祈りの世界です。
心をこめたかどうかは誰にもわからない。こめた本人にしかわからない。本人と宇宙の直接的関係を大切にする。これが日本の文化です。日本人の強烈な個性です。西洋の文化が輸入され、子育てが学問的、理論的になりはじめたあたりから、この良い伝統が消えはじめた。
あなたが「いい親になりたい」と思った瞬間、あなたはいい親です。結果で計られるものではなく、あなた自身の心の状態がすべてです。
5。宇宙は我々に安心して0歳児を与えた
ときどき夫婦で悩むことです。夫婦で子どものために考えることです。
お受験をするかどうかでもかまいません。塾や早期教育に参加するか、子どもの体をどう鍛えるか、夏休みの過ごし方でもいいでしょう。具体的なことで一緒に考えるのがいいのです。良い答が見つかるかは大した問題ではありません。夫婦で考えることによって夫婦のきずなが育つことが大切です。心が一つになることが大切です。
夫婦がお互いをにらみ合って考えるのではなく、二人並んで、子どもを見つめながら考えるのがいいのです。たまに幼稚園に二人で行って、他の子どもに混じって遊んでいる自分の子どもを一時間くらい一緒に眺めることです。こんな簡単なことが、幸せな人生への鍵になっているのです。
夫婦が二人で子どもを眺める目線。これが「幸せの目線」「祈りの目線」だったから人間社会はここまでなんとか進んで来たのです。
子育てに正解はありません。こう育てればこう育つなんてことは絶対にありません。
だらしない親の子がしっかりもので、「あの一家は、子どもが親を育てているみたいだね」なんて思えることや、誰が見ても善人の夫婦の息子が罪を犯し、親たちが苦しんだりすることはいくらもあります。
大事なのは、子どもをこういう風にしたい、こういう人間になってほしい、こういう体験をさせたい、と色々夫婦で考えることです。それをすることで、親が成長し、夫婦の目線、きずな、祈りの形が育ちます。子どもにこうあってほしい、と親が思うことは、「人間はこうあるべきではないだろうか」と親が考えることなのです。「幸せとは何なんだ?」と親が考え始めることなのです。
多くの場合しょせん子どもは思い通りには育ちません。そういうピンチに立たされた時に、祈ることです。正解なんか探そうとせずに、祈ることです。なぜ、祈ることが大切かといいますと、人間は祈ることによって自らの精神的健康をたもつのです。そして、子育てに一番大切なのは、親の精神的健康です。べつに宗教をやれ、信心をしろ、と言っているのではありません。「ああ、この子に幸せになってほしい」と思えばそれでいい。それだけであなたは十分立派な親です。人間としてちゃんと成長していきます。
祈っている妻を見て、夫を見て、夫婦はお互い知らないうちに人間性の確認をします。ここがまた大切です。
絶対的弱者である幼児は、私たちから、良い心、忍耐力、やさしさ、祈る心を引き出してくれます。幼児たちが私たちの「生きる形」を美しいものにしてくれるのです。そして、ほとんどの大人が、こうした引き出されるべき良い心、美しい形、祈る心をちゃんと心の中に備え持っているのです。もし、そうでなかったら、宇宙は我々に0歳児を与えたりはしません。ほとんどの人間が根は良い人間だから、宇宙は安心して我々に0歳児を与えたのです。
あなたの心の根っこにある良い心を引き出し、育ててくれるのが幼児です。1人では絶対に生きられないこの幼児たちが、私たちを良い人間にしてくれるのです。次に幼児と目が会ったら、「私から良い心を引き出してちょうだい」とお願いしてもいいくらいです。
夫婦は弱者である幼児にかかわるお互いの姿を見て、「あの人は、やっぱり根は良い人間だ」という確認をします。そして「子育て」で心を一つにします。根が良い人間だ、ということがわかっていれば、たいていのことは許せます。家族で一生幸せに暮らしたければ、子どもが小さいうちに、二人でしっかり子どもにつきあって自分の良い心、祈る心を引き出してもらい、それを夫婦がお互いに眺めておくことが必要です。
昔、夫婦は一緒に働くことによって、心を一つにし、共に祈りました。しかし、そういう形の仕事が減ったいま、子育ては、夫婦が心を一つにするための最後のとりでです。
人間は、一緒に考え、共に祈る人が1人でもいれば、だいたい幸せに暮らせます。
不思議でしょう?あなたがあなたのパートナーと二人で生み出した存在(幼児)が、あなたから善性を引き出し、共に祈るパートナーとの絆を育てるのです。あなたが生まれた時、あなたはすでにこの大切な幸福の輪の一部なのです。
6。子育て論にまどわされるな
あるお母さんが真剣にこんなことを私に言ったのです。
「『しからない子育て』という本を読んで、とてもいい本だと思って、書いてある通りやろうとしたんです。そしたらノイローゼになってしまったんです」
少し気の弱そうな、繊細で、真面目で、優しそうなお母さんでした。いい人そうでしたし、「いい親」そうでした。
せっかくいい人そうなのに、子育てに正解を求めて、子育て論に巻き込まれて心のバランスを失い、大変な寄り道をしてしまったわけです。
子育てに大切なのは、「叱って育てるか、叱らないで育てるか」ではなく、母親が「ノイローゼか、ノイローゼでないか」なのです。やり方ではなく、親の心の状態が大切なのです。正解があると思ってノイローゼになるなんて本末転倒です。そんなことなら、いいかげんにやって健康でいる方がよっぽど子どもには良いのです。
子育て論を読むくらいならまわりに友だちを作ることです。園長先生と親しくなることです。自分の子どもに毎日毎日こんなに楽しい時間を作ってくれる保育者に心から感謝して、ケーキか焼き芋でも持って園に突然お礼に行くことです。そんなことをしていれば、絶対にノイローゼにはなりません。
(最近「親離れ、子離れ」などという変な言葉がありますが、子育てに終わりはありません。一生のものです。もしお盆に子どもが親のお墓参りにやってきたら、親は死んでも子育てをしているのです。親子の関係というのは、こうした時空を越えた魂の関係です。)
7。母親の精神的健康、そして父親の役割
子育ての鍵を握るのは母親の精神的健康です。園長先生たちはよくそう言います。
そうなってくると、自然に見えてくることがあります。
幼児と毎日関わって、子どもたちの顔を見つめ、幸福を願っている園長先生たちが、子どものために、母親の顔、精神的健康を一番重視するのであれば、その鍵を握っているのは誰でしょう。
夫です。子どもの父親です。
父親の子育てにおける一番大切な役割は妻の精神的健康を保つことです。これは簡単にできるようでなかなか難しいことかもしれません。しかし、夫のやる気しだいではいとも簡単なことです。本気で自分の子どものことを思う父親なら、たやすいことでしょう。
父親が母親の精神的健康を保つ上で大切なのが、給料を毎月きちんと入れることです。
他にも色々あるのですが、経済的な安心は家庭の基盤になるでしょう。給料を毎月きちんと入れることは心のこもった行いです。この点、日本の父親は非常によくやっています。だから日本はこれほど住みやすい国なのでしょう。子育てをするなら日本が一番、と私が感じる根本がこのあたりにあります。多くの家庭にまだ父親が収入源という役割でちゃんと存在するのです。ですから、父親がまあまあ給料を入れていたら、またはその努力をしていたら、子育てということに関して父親にあまり不満を持ってはいけません。でも、もし父親に幸せになってほしかったら、2ヶ月に一度は父親を幼稚園に行かせることです。幼稚園には、父親たちが一番必要としている「幸せのものさし」がころがっているのです。
年に一回、父親だけ集めて、幼稚園で酒盛りをさせる園長先生がいます。女の先生です。「父親どうしが知り合いかもしれない、という意識を子どもたちが持っていれば、学校へ上がってもイジメなんか起きません」とおっしゃいます。人間関係の本質を見抜いています。そして、「父親たちを仲良くさせるにはお酒が一番」と言うのです。父親たちも嬉しそうに言います。「利害関係のない友だちができたのは久しぶりなんです」と。
(欧米では、三割から四割の子どもが未婚の母から生まれます。これでは父親側に「親心」が十分に育ちません。始めからいない場合がこれほど多いのですから、男たちの心に「祈りの灯」がなかなかともりません。そして、アメリカでは、今年生まれる子どもの20人に1人が一生に一回は刑務所に入るのです。高校を卒業する子どもの2割が、満足に読み書きが出来ないのです。これはアメリカ政府が発表している数字です。社会から「親心」が薄れ、家庭が崩壊しはじめるとやがて学校が機能しなくなり、犯罪の増加に歯止めがかからなくなるのです。
アメリカで数年前、養育費を払わない父親から運転免許証を取り上げよう、という法律がいくつかの州で通りました。法律で強制され、免停になるからやる子育てなんて駄目です。何がなんだかわからないけど入れる給料、こんな感じが良いのです。
先進国と言われる国々で、これほどたくさんの父親たちが始めから幼児に関わらない。自分の子どもが怪我をしても病気になっても、どこにいるかさえ知らない。この不自然な状況を私は人類始まって以来最大の危機だと考えています。日本を欧米みたいにしたくはない。人類の危機をなんとかここで食い止めたい。
欧米の現状を考えれば、本当は給料を入れているだけでも十分なのですが、このまま放っておくと、やがて父親たちが家庭から消えてゆくのがわかっていますから、いま、父親たちに親である幸せを教えておきたいのです。人類のために、早めに父親たちを幼稚園に連れ出して下さい、とお母さんたちにお願いしたいのです。)
8。「自由にのびのびと、個性を大切に」
「自由にのびのびと、個性を大切に」。こういう馬鹿げた言葉遊びにひっかかってはいけません。
人間は自由にはなれません。そして、もし自由を目指すことが幸せにつながるのなら、人は結婚できません。子どもも産めません。
よーく考えてみて下さい。
結婚は自ら進んで「不自由」になることなのです。
子どもを産むということは、結婚に輪をかけて「不自由」になることです。
でも、世界中でこれほどたくさんの人たちが結婚し、子どもを産むのです。宇宙は我々に、「不自由になれよ、幸せになれよ」と言って0歳児を与えたのです。
「個性を大切に」。これもひどいインチキです。短所も個性ですから。
こんなことはちょっと考えればわかるのですが、最近、大人たちが、あふれる情報、学問を勉強した「専門家」たちの軽薄な言葉や空論を鵜呑みにして、自分の頭で考えなくなっているのです。いままで「個性を大切に」なんて言葉が良いと思っていたひとは、そうとう自分の頭で考えなくなっている人ですから注意して下さい。
当たり前のことですが、個性には抑えなければ他人が迷惑する個性、放っておいたらその人が不幸になる個性、犯罪につながる個性、大切にすべきでない豊かにすべきでない個性がたくさんあります。二人の人間が一緒に生活したり、社会という形を作ろうとすればするほど、抑えるべき個性が増えるのです。
「個性を大切に」ではなくて、「どの個性を大切にするか」、そして、「どの個性を抑えるか」、それを親が責任を自覚して、自分の趣味と都合に照らし合わせて、子どもの幸せを願って考えるのが子育てです。どの個性を短所と考えるか、長所と考えるか、一律のものさしなんてありません。文化によっても国によっても、宗教によっても、気候によっても、時代によっても違うのです。
しかし、無人島にでも住まない限り、個性を抑えられない子どもはだいたい不幸になります。
9。教えるということ
幼稚園・学校というものにまったく行かない子どもが地球上にまだ半分います。
25年前私が一年ほど住んでいたインドの村では、親たちは働きながら、子どもたちに様々なことを教えていました。職業が世襲制であることが多く、五歳頃までに子どもを労働力にする、それが子育ての基本でした。
見ていると、労働力にするということは、ただ仕事の技術を教えることだけではありませんでした。老人をうやまったり、神を信じたり、一緒に祈ったり、隣人とうまくやったり、生きてゆく形を教えることも含まれていました。そうすることに一家の生活がかかっていました。親が子どもに教えることに一家の生活がかかっている。村人(コミュニティー)の生活がかかっている。これはすなわち、親が忍耐強くならなければならないということでした。忍耐力がないと子どもに教えることはできません。幼児に具体的に何かを教えることによって、親側の忍耐力が育つ、これが「教えること」の基本です。
今、日本に、落ち着いて自分の子どもに「割り算」を教えられる親がどのくらいいるでしょうか。幼稚園の先生をやっている親でも、自分の子どもに何か教えようとすると忍耐力が続かない、というようなことを聞きます。ここがとてもたいせつな親子関係の仕組みです。自分の子どもに教えようとすると自分の本性が表れやすくなる。本性を知るから人間は自らを成長させるのです。
学校や幼稚園が普及すると、親が教えなくても子どもがちゃんと育ってくれるようになりました。これによって「教えること」の基本が失われ、地球からまるでオゾン層に穴があくように「忍耐力」が消えていくのです。
自分の一生の幸せは、ごく身近の、家族という一握りの人間関係がその鍵をにぎっていると気づいたら、子どもがまだ小さいうちに、自転車に乗ることくらいは父親が教える、水泳くらいは母親が教えることです。蝶々結びでも、お箸の持ち方でもいい。歯の磨き方、ボタンのかけ方でもいい。簡単なことから順番に、子どもができるようになることを目標にするのではなく、自分が忍耐強い親になれるように、自分が我慢できる夫になれるように、親たちが少しずつやっていけば、まあまあ忍耐強い親が育ち、住みやすい社会が生まれます。
そして、何より興味深いのは、忍耐強く教えて子どもが出来るようになると、心の底から嬉しいものなのです。自分が育つこと、子どもが育つこと、その両方が嬉しいのです。人間社会はこの「嬉しさ」を土台に成り立っているのです。
10。幼児と過ごす体験を子どもにさせる
優しい子どもに育ってほしかったら、子どもにいつか良い親になってほしかったら、子どもが小学生、中学生、高校生になっても、一年に一度でいいですから、一日ゆっくり幼児と過ごす体験を持たせることです。
親戚の中に2歳児3歳児はいないか。近所の家に幼稚園児はいないか。幼児のいる一家を探しておいて、その一家とどこかへ出かけるのです。遊園地でも、川遊びでも、潮干狩りでもなんでもいいのです。幼児とゆっくり過ごす一日が、あなたの子どもの優しさを育てます。親が教えるよりずっと簡単に、子どもたちは幼児から良い人間性を引き出されます。こういう時間はお金で買っても作るべきなのです。
まわりに幼児がいなかったら、卒園した幼稚園・保育園に年に一度行かせてもらうことです。園長先生にお願いして一日子どもを幼児たちに漬け込んでおいてもらうのです。漬け物みたいなものです。親も一緒に園に出かけ、子どもが幼児たちに漬かっている姿を見ることはなお良いのです。小学生中学生のうちに、年に一回必ず園を訪ねる習慣をつけておけば、どんな時にでも子どもたちは幸福の基準を見失わないでしょう。やさしさが喜びにつながることを忘れないでしょう。
もしあなたが、本気で幸せになりたかったら、子どもが卒園した幼稚園・保育園と絶対に縁を切らないことです。
11。祖父母の祈り
以前、日本で「孫」という演歌が大ヒットしました。アメリカで「My Grandson」という曲は永遠に発売されないでしょうし、作ったとしても売れません。三割以上の子どもが未婚の母から生まれ、子どもが18歳になるまでに四割の親が離婚するのです。「祖父母が孫を思う気持ち」などとっくに無視され、踏みにじられています。
日本のテレビであの「孫」という曲を初めて聞いた時、私は思わず涙ぐんでしまいました。
「この人は本気で歌っている」と思いました。
この詩を本気で歌って馬鹿にされない国、それどころかヒットにしてしまう国、これはもう感動的に美しい国だと思ったのでした。
人は歳をとると自然に競争をやめます。競争する意欲を失います。その時、争うことの反対側にある幸福感に目覚めるのかもしれません。
祖父母の気持ち、「祖父母的気持ち」は社会に絶対に必要な大切な心持ちです。人間は無駄に歳をとってゆくのではないのです。競争から引退した「祖父母的気持ち」、「祖父母の祈り」が「子育て」のまわりを囲んでいる。これが自然な姿なのです。
この人間社会の宝のような「祖父母の気持ち」「祖父母の祈り」は、子どもたちにとって大切な財産です。そして、強者たちの争いが家族の絆を壊しはじめている地球にとって、いま一番大切な環境問題がここにあるのです。「祖父母の祈り」をしっかりと育てて下さい。それをあなたが育てて下さい。祖父母と小さな孫たちを出会わせて下さい。土壌を耕して下さい。それがあなたの地球に対する何よりの貢献です。
さっそく幼稚園にお願いして、年に一度は祖父母が園に来る行事を作ってもらって下さい。子どもたちから招待状が届くようにして下さい。飛行機に乗って、「祈り」が飛んで来ます。電車に乗って、「笑顔」がやってきます。
(私がなぜ一生懸命いまこれを書いていると思いますか?この社会に「親心」が満ちることや、「祖父母の祈り」が誕生し続けることが、私の子供達の未来の環境だからです。私はこの文章を通して、一人の親としてあなたと出会った。ここが大切です。このことが人類の希望を未来へつなげるのです。)
12。ザワザワザワザワ
たとえ話ですが、人々が、「私は自由に暮らしたい」「自分の個性を大切にしたい」「自立したい」「自己実現したい」とお互いの耳に囁きあったとします。まわりにいる人、友達、夫婦、親子、がそれぞれ自分の気持としてそれを伝えたとします。これでは一部の強い者、運が良い者だけが羽振りをきかせ、ほとんどの人たちが欲望を満たせずに不機嫌になって、そのうち国は滅びると私は思うのです。
人々がお互いの耳に「頼りにしてるよ」と囁きあったらどうでしょう。まわりにいる人、友達、夫婦、親子が、嘘でもいいから「頼りにしてますよ」と囁きあうのです。もちろん本気のほうがいいのですが、嘘でも相手が幸福になれば、「嘘も方便」で、いいのです。
この「頼りにしてるよ」という言葉が、ザワザワザワザワ静かに波のように広がっていって、人間たちは幸福になって栄えるのだと思います。
何も囁けない0歳の幼児は、無言のうちに、このザワザワの発信源になっているのです。幸福の源になっているのです。
(これは日本のように言論の自由があって、みなが投票できて、基本的人権がそこそこ守られていて、独裁者のいない国の話です。)
13。一日保育者体験
大阪の園長先生から手紙が来ました。
「母親を一日先生として副担任につけるようになって二年ほどになります。各組一名で順番です」
最近は父親の参加も一割だそうです。
(ある親の感想文)
「家でわが子だけをガミガミおこっている母よりも、みんなと一緒にニコニコしている母をみている娘もうれしそうでした」
まだ始めて二年目の「一日先生」は親たちにも人気があって、夫婦で、私が行く、僕が行く、ともめる親までいるそうです。会社を休んでまで幼稚園に行こうとする父親がいる日本の土壌が私には嬉しい。日本の父親たちはまだまだ自然界の幸福論を忘れてはいない。親心を身につけることが幸せにつながると知っている。
日本中の幼稚園保育園で、「一日先生」が義務付けられたら、幼児虐待や家庭崩壊は半減する、と私は思います。
心が疲れている時、幼稚園に行きなさい。砂で幸せになれる人たちを見つめなさい。
集団で遊んでいる子どもを眺めること。これが人間を育て、人間社会の精神を浄化するのです。
もうひとつだけ、小声で教えてあげましょう。「子育て」なんて言いますけど、実は、人間が本当に育てられるのは自分自身だけなんです。
あとがき
人間は子どもをさずかり、子どもを育て、そして親になってゆきます。私たちが宇宙からあたえられたこの「親子」という神秘的な関係は、人類が存在する限り永遠に続くのです。もし、この「さずかり、育て、親になってゆく」プロセスに幸福感がなかったら、人類はとっくに滅んでいるでしょう。「子育て」と「幸福」が重なり合うから人類はここまで進化してきたのです。
子育ては幸福の源でした。これからもそうでなければいけない。
それがいま先進国と言われている社会で崩れはじめている。
どうすれば子育てをしながら幸福になれるのか、何をするべきか、どこで間違ってしまったのか。こんなことを真剣に考えなければならない不思議な時代に私たちは生きています。 |