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文芸春秋社「日本の論点」
モラルと秩序は「親心」から生まれた:子育ての社会化は破壊の論理

なぜいまが母性に思考の軸を置く時代か

 幼児という絶対的弱者に関わり、人は優しさ、忍耐力、善性を引き出される。そして、大人達から一定の善性が引き出されない限り幼児は存在できない。これは私達が宇宙から与えられた進化のための法則であった。もう一歩進め、「宇宙が我々に自信を持って0歳児を与えた」のは人間が引き出されるべき善性を持っている証し、と私は考えたい。しかし、この善性は引き出されるべき善性であって、引き出されるプロセスに幸福が伴って初めて人類は健全に進化できた。強者(親)が弱者(幼児)と関わることで人間社会にモラル・秩序が生まれた。

 義務教育が普及すると、家庭におけるモラル・秩序の伝承が薄れ親心が育たなくなる。すると画一教育が困難になり学校が機能しなくなる。犯罪が急増し司法システムがモラルの崩壊にやがて追い付かなくなる。今や先進国にとって避けられない図式である。米国で今年生まれる子供の20人に一人が刑務所に入るという。学校や福祉といった仕組がいかに親子を不自然に引き離し、「親心」が育つ機会を奪っているかを考えれば自然のなりゆきではある。

 親心が社会から薄れると、「愛」という幸福に不可欠なものが歪み、逆に不幸を生み始める。米国で少女の二割が近親相姦の犠牲者といわれ、虐待を受けた少女たちが温かい家庭に憧れ未婚で出産し幼児虐待の連鎖を繰り返す。現在地球を覆う非人間的な出来事の多くが、「親心の欠如」という人類史上かつてない異常な環境問題から起こっている。
 私は日本の保育者達に講演し始めて15年。欧米の状況を伝えながら、「これ以上預かったら親が親でなくなってしまう」という保育士達の叫びに女性達の魂を感じた。いま、「女性らしく考えること」が人類の進化の鍵を握っていると確信した。論理ではない母性に思考の軸を置く時代が来ている。

親から子を引き離した結果、生じる危険

 8年前米国連邦議会に、犯罪を減らすため母子家庭から子供を取りあげ孤児院で育てようという法案が提出された。孤児院はコストがかかるが刑務所よりは安いという論議がされた。福祉はここまで行く可能性を持っている。(当時法案に賛成していた下院議長は、今回のイラク戦争を支持した国防最高諮問会議の5人のメンバーの一人である。ここに人類の未来の危険性を私は見る。)孤児院は虐待を受ける確率が少なく子供には良い。しかしこれでは「親心」が育たない。人間の善性が引き出されない。社会に親心が満ちることこそが「子育て」の最大の意味であり、弱者に優しい社会が形成される土台だということを忘れてはならない。欧米は子供の安全を考え親子を政府が引き離すという危険な一歩を踏み出そうとしている。システムが壊してしまった「人間性に依存した人間社会」を、システムを使って応急処置し続けるしか方法がないのだ。しかし欧米式応急処置には宇宙が我々に与えた幸福論が関わらない。親であることの幸福論、善性を引き出される幸福論、自己犠牲の幸福論が、勝つことに幸福を求める「強者に都合のいい幸福論」に呑み込まれつつある。

 日本でも、自由、自立、個性を大切に、自己実現、社会進出、共同参画などという、競争に多くの人間を巻き込む意図で生まれた「危険な言葉遊び」が広まりつつある。人類存続に不可欠な親心、親身といった善性に関わる幸福論が、弱者の幸福論として排除されつつある。結婚は自ら不自由になることであり、出産はさらに不自由になること。そこに幸せがなかったら人類は進化出来ない。宇宙は私たちに「不自由になれ。幸せになれ」と言って0歳児を与える。そして、始めの数年間、完全に頼って生きる人生を全ての人間に平等に与えた。人は幼児と接し、自分も一人では生きられなかったことを思い出す。そうした頼り頼られる記憶の伝承が人間社会には不可欠だった。それが自由、自立という現実味のない言葉で排除されようとしている。

 欧米で3割の子供が未婚の母親から生まれていた時、日本は1%台だった。日本は選ばれた奇跡の国だった。それが、この5年急速に崩壊に向かい始め、保育園では母子家庭が3割近くになり、幼児虐待も急増している。母子家庭が悪いと言うのではない。女性より攻撃的な男達に親心が育たない、幼児に関わる時間が減ることによって女性らしさ(母性)が社会から消え始めることが危険なのだ。

女性の社会進出は強者の幸福論に行きつく

「囚人の95%が幼児虐待の犠牲者と言われ、虐待を受けている子供たちを全員収容しようとすると、200万人の子供を収容しなければならない」(Time誌)という米国の現実を見つめ、欧米とは違った道、親心を社会に取り戻す道を模索することが日本に与えられた使命だと思う。アメリカンドリームという言葉に代表される強者の幸福論の対極にある、欲を捨てることに軸を置く「親心」に近い仏教的幸福論を土壌として持つ私たちの役割だと思う。地球には多くの軍事政権や独裁者が存在し、自由、自立、平等という言葉を武器に闘う必然性があり、それを教えるために学校が必要なことも分る。しかし、この自由、自立、平等という言葉が「親子」という社会の基盤となる人間関係と相容れないということ、学校が、親心が育つ機会を奪うことを私たちは、先進する人類の一員として考えはじめなければならない。

 冷静に考えれば、国際化、グローバリゼーションという言葉が、欧米流競争社会に日本を引き込む強者の策略であることが見えてくる。競争社会は参加する人間、欲(夢)を持つ人間が増えるほど富が強者に集中する。国際化とは国境を越えて利潤・利権の追求が始まること、国際人とは、国境を越えて儲けようとする人のこと。幸福論の国際化は無国籍化を招き、人類が日本という選択肢(オプション)を失うことに他ならない。なぜ今米国の学校が日本に学び制服を取入れ始め、団地で川の字になって寝ている日本の親子を発達心理学者が研究し始めたか。日本という選択肢が遅蒔きながら欧米の学者たちの視野に入ってきているのだ。

 「女性の社会進出」という言葉も強者の幸福論に行き着く。欧州人がアメリカ先住民を征服した手法を思い出してほしい。彼らはインディアンたちに土地の所有、権利という概念を「学校」を使って教えようとした。欲と不満(不安)を植えつけ、それをエネルギーに競争者を増やして行くのが資本主義の方法だからだ。待機児童は解消しようとすればするほど増えてゆく。親心を否定する方向へ動く幸福論の書き換えは、子育てをイライラの原因に変える。少子化対策も現時点では欧米並に女性を働かせようという経済学者の増税対策でしかない。これでは将来刑務所をいくつ作っても追い付かなくなる。孤児院で子供を育てよう、ということになりかねない。

経済競争に負けた「強者」による幼児虐待

 親達のシステム依存は既に始まっている。専門家(学者)依存が進むと子育てに祈りがなくなる。人は祈ることで精神的健康を保つ。その原点が子育てだった。夫婦が親になり、共に祈り最小単位の社会が形成されていた。
 心理学者への過度な期待とカウンセラーの普及が社会に致命傷を与える。育ちあいが消え、システム依存は薬物依存へと進む。米国の小学生の20人に一人が画一教育を維持するために精神安定剤を飲まされている。子育てを損な役割と定義し幸福論を書き換えてしまうとシステムは薬物と共に崩壊へ向かう。

 砂場で遊ぶ幼児を眺め、人は幸せが物指しの持ち方にあり、簡単に手に入るものであることに気づく。だからこそ、強者たちは人間と幼児を引き離そうとするのだ。
 今、強者であることに快感を感じる米国型幸福論の国際化が、利子さえ許さない回教とぶつかり、野心を捨てることを幸福の柱とした仏教文化を呑み込もうとしている。経済競争に負けた強者たちが家庭でやるパワーゲームが幼児虐待である。保育者が日々幼児の集団を使い親心を耕すことによって、弱者が強者の善性を引き出すというガンジーの非暴力主義が人類存続の真理として再発見されることを私は祈っている。なぜなら部族間の闘争もまた親子の絆を深める伝統的手法であるから。

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