Welcome to Kazu Music Japan.
保育園の運動会
 9月の第二週。以前この連載に「長田式4:4:2の法則」と書いた八王子の共励保育園の運動会を見に行きました。
 親の競技が4割、子供の競技が4割、親子一緒にやる競技が2割、というあの運動会です。長田先生の講演を聴いた時、ビデオ映像では何度かその一部を見ていたのですが、実際に目の当たりにするのは初めてでした
 前の晩から天気が心配で、時々カーテンを開けて夜空を見ました。こんなことは久しぶりです。運動会は前日からもう始まっているのです。天気を心配し、自分の思うようにならない何か、を意識する時です。「大自然」と言っては大げさかもしれませんが、人間の位置を感じ、世界を感じ、そして,何となく、みんなで祈る。心を一つにする助走が始まっています。

 晴れるといいな、と思いました。
 その晩、もっともっと真剣に,日本全国で、小さな手が祈りながら、てるてる坊主を作っていたはずです。だって、ずっと練習して来たんですから。予行演習だってやったんです。
 文化人類学的に分析すれば,てるてる坊主の数だけ、神との対話があるのです。
 深夜2時頃、激しい雨が降っていましたが,明け方には止み、あいにくの曇り空でしたが,なんとか持ちこたえて運動会が行われました。

 河川敷にある広場を借りて行われていた運動会は、まさに村の運動会という感じ。子供が意外と目立っていません。おむすびの中のごま塩みたいに見えます。当たり前です。一人の子供に2、3人の大人がついて来ている計算です。当たり前ですが、保育園児はまだ小さいのです。運動会に占める体積が少ないから、どうしても目立ちません。競技だって子供だけでやる種目は全体の4割です。
 長田先生を探しました。やっと見つけた理事長は、4人一組で板の下駄を履いて走る競技の真っ最中。まさか本人が短パンで走っているとは思わないので、見つけるのに時間がかかったのです。もう転んだのか,短パンに泥がついています。必死の形相で事務組の先頭をつとめています。

 全ての組の父母4人と担任が出場するこの競技は、5人一組の障害物競走になっていて、午前中に予選、午後に決勝戦があり運動会のメーンイベントです。昼休みに、予選を勝ち抜いて決勝に残ったどの組が優勝するか競馬の馬券のように投票があります。本部席の前に投票用の箱が設置してあり,お弁当を食べ終わる頃、三々五々子供も大人も投票にやってきます。まるで馬券の予想屋のように理事長がマイクで今年の本命などを解説し、なるべく票が偏らないようにしているようです。見事当てた人の中から抽選で、米10キロが賞品として贈呈されるので、結構みんな真剣です。運動会を盛り上げるのは真剣な競い合いと、真剣な応援。真剣だから心底笑い、一喜一憂するのです。そうして、心が一つになってゆく。

 「真剣に応援するにはやっぱり馬券と賞品です」長田先生が笑いながら私に説明します。
 この障害物競走の途中に棒に登る箇所があって、5本の棒のうち一本がちょっと太くて登りにくくなっています。そこまで2位で来た組の登り手がその棒を登ることになっています。その組は「運」が悪いのです。「競争には運が必要ですから」と長田先生がニヤニヤしながら説明します。「人生とはそういうものなんだから」
 そういう不公平を,園長の独断としてみなが受け入れています。

 昼休みが終わると卒園児の徒競走。
 「いよいよ卒園児の徒競走です」とアナウンスがあり、すぐに「卒園児以外の方もどうぞ。年齢制限はありません」と付け加えられます。かなり非論理的なアナウンスですが、誰も疑いを抱いていないようです。
 100人は参加していたでしょうか。歳の若い順に6人づつ徒競走をするのですが、最前列は一年生、最後列はどう見ても二十歳を過ぎています。でもみんな卒園児にかわりありません。どこの園の卒園児かは知りませんが…。保育園の歴史が走る順番を待っているようなものです。

 運動会の司会が差し出すワイアレスマイクに,走る前に、一人一人が自分の名前を大きな声で言って「ヨーイ、ドン」。ああ,あの子だ,大きくなったね、あの子はかわらないね、などと保育士たちから懐かしそうな声が上がります。保育士たちが自分の仕事の結果たちに幸せを感じる瞬間です。こういう瞬間が保育士たちのエネルギーになります。卒園児の走る姿を見て、「今」の保育にいっそう心がこもるのです。保育園は卒園したらそれで終わりの生産工場ではないのです。その先に長い道のりがあるのです。その長い道のりを立派に幸せに歩んで行ってほしいという祈りが,保育なのです。
 保育園の運動会は真剣です。駆け引きや裏表のない、純粋な真剣さが気持ちいいのです。ふだん駆け引きや裏表の世界で生きなければならない親たちには特に良いのです。必死に走って,転んだり,泣いたり,悔しがったり、そうやって久しぶりに血の通った人間社会らしい一日がすぎて行きます。保育園の運動会は親たちの精神の浄化と絆の確認のためにあるのです。

 一人並ぶのが遅れてしまった小学一年生が,最後に大人と一緒に走ることになってしまいました。大人だって卒園児です。容赦しません。みんな必死に走りますから一年生20メートルも離されて最下位です。悔しくて、悲しくて大泣きです。それでもいいのです。みんな笑顔で同情し、拍手します。泣いて笑って悔しがって,成長し,思い出が出来て、絆が残るのです。

 ハモニカ合奏の時「ビデオを撮りやすい場所を本部の横にもうけました」とアナウンスがあります。2度と見ないビデオだっていい。せっかく芸を仕込んでもらったのですから,撮っておかないと損です。良い場所を確保し、ファインダーを覗くことでまた親心が育ってゆくのです。高価なカメラを買った言い訳にもなります。ちなみに運動会の準備を手伝った親には,朝,最初の場所取り優先権が与えられています。親を「場所取り権」という餌で釣って,保育園も準備段階から助かるし,親も納得するのです。どんな理由でも良いのです。親を少しでも長く保育園の居させることが親心の耕しになるのですから。

 騎馬戦。
 普段は出会わない職種の父親たち(母親も幾人か,一人祖母もいました)が出会って3人で騎馬を作ります。子供を一人乗せます。親三人で一騎組み,子供は一人ずつ順番に乗るので、都合3回騎馬を組み戦います。
 長田先生が言います。「見てて下さい。先頭に立つ親によって戦い方が違うんです。親心が出るんですねー」
 簡単に説明しますと、頭にねじり鉢巻をした肉体労働者風ランニングシャツの父親と、一見ひ弱なサラリーマン風の父親,ちょっとニヒルな大学教授風の父親が一緒に騎馬を組んだところを想像してみて下さい。自分の子供を乗せる時,その子の父親が先頭に立ちます。子供は、まさしく父親の背中に乗って戦います。肉体派の父親は、敵の騎馬隊を目指して勇猛果敢に突っ込んで行きます。それが性分ですから仕方ありません。相手の子供が頭につけているかぶりものを取り合うのが目的です。その父親の背後に二人の父親が足としてついています。

 次は、ひ弱な優しそうな父親が自分の子供を乗せて先頭になります。今度ははじめから逃げ回ります。何しろ、かぶりものを取られなければいいわけです。年長組の父親たちには3度目4度目の運動会。騎馬戦の要領をだいたい知っています。ここで面白いのは、肉体派の父親が後ろで支え,げらげら笑いながら一緒に逃げ回る姿です。つまりいろんな奴がいて、いろんな親がいて、いろんな子育てがあって、でもみんな育てているんだよな、という風景がそこにはあるのです。「みんなで育てている」なんて生っちょろい政府のキャンペーン的な言葉はこの場には似合いません。「みんな育てている」、それで良いのです。
 肉体派父親もたまには逃げ回る経験を
すると良いのです。他人の子供を乗せて逃げ回るのはもっと良いのです。
 こういう風景を生み出す仕組みは名君といわれた大名が思いつくタイプのものでしょう。長田先生の頭の上にちょんまげが見えたような気がしました。

 誘われて、反省会に出席しました。役員の親20名くらいと保育士20名くらいが向かい合って、給食室で作った夕食を食べながら飲みます。だれも反省などしません。楽しかったこと、嬉しかったこと、感動したことが親たちから順番に話されます。日本人以外の親もいます。日本の運動会に感激しています。

 園児を子供として持つ保育士が一人いました。母親に違いないんだから一言述べよ、ということになりました。
 いきなり、「うちの子、ほんとにかわいいんです」と自慢です。「いつも受け持ちの子たちにそう言っているんで,今日はその子たちが、うちの子を一生懸命応援してくれたんです。本当に嬉しかったんです」
 他の親たちの前で、保育士がこういうことを自然に言える信頼感。それが本来の人間社会だと思います。システムにだって心が入れば、こうした風景が自然に生まれる。保育士は自分の子供は他の保育園に入れる、という慣例を作っている連中にこういう風景を見せてやりたい、と思いました。「子育て」を「親心が育ってゆく過程」と見れば、こうした人間関係の絆、信頼が生まれることこそが、子育ての目的なのです。それをもう一歩進めて「部族の信頼」=「保育の目的」とした所に長田先生の運動会の真髄があるのです。
 システムの中で皆が摩擦をさけることが人間社会から絆を失わせているのです。

 長田先生は、成人式の時に、保育園に二十歳になった卒園児を呼んでお泊まり保育の時のビデオを見せるそうです。みんなで、自分が5歳だったときのことを思い出す。一人では生きられなかったことを思い出す。大人を信頼し、頼りきって生きている自分がいかに幸せそうか思い出す。「自立」なんて概念はインチキで,本当はみんなで頼りあって生きて行くのが幸せなんだと気づくのです。そうして、家族、家庭を大切にするようになるのです。
 そのあと理事長が駅まで園バスで送るそうです。バスの小さな座席に座った成人たちがとても嬉しそうなのだそうです
 (こんなことを日本中の保育園がやってくれたら、と心底思います。)
(C) Kazu Music Japan 2008